今では若手ナンバーワンの演技力とも言われる国民的女優の満島ひかりさん。
その彼女は以前、実家がとても貧乏で非常に苦しい生活を送っていたことが分かりました。
そして、その苦しい時期を救ってくれたある人がいたことも分かりました。
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アイドルとして華々しくデビュー
1997に満島ひかりさんは当時11才でアイドルユニット『Folder』としてデビューを果たしました。
ユニット名を変え『Folder5』になった時は、アニメワンピースの主題歌「Believe」が大ヒットを記録しました。
それがベースで今の歌唱力があるのでしょう。
CMで中島みゆきさんの「ファイト」を熱唱していることも有名ですよね。
しかし、ずっと売れるわけでもなく…
徐々に人気は下降し、2002年に『Folder5』は解散しました。
そこから満島さんは、芸能活動を再開するも、バラエティ番組やグラビアでも露出を繰り返しますが、全然売れなかったみたいですね。
その当時、芸能活動も鳴かず飛ばずでしたが、家庭環境も最悪だったみたいです、
実家が差し押さえになる!
女優としてやっとチャンスをつかみ始めた時期でもあった06年7月。
その時、家計に苦しんでいた実家が沖縄市の差し押さえに遭いました。
更なる悲劇が彼女を襲う
2007年10月、実の父親が酒気帯び運転で事故を起こしました。
体育教師だった父親は、示しがつかないとして教師を辞めるという選択に陥りました。
それにより、家計はますます圧迫し、結局家を手放すようになります。
満島ひかりさんは満島家の長女で、かなり責任感の強い性格。
これにはすごく悲しんで、また自分の不甲斐なさに落ち込んでいました。
「両親を助けたいけど、助けることができない。。」
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支えてくれたのがミッツマングローブ?
そんなどん底な精神状態を救ってくれたのが何とミッツマングローブさんだったようです。
これはかなり意外!
当時、満島さんはミッツさんの経営していたバーによく通っていたそうです。
そこで夜な夜な二人で語り明かしていたそうです。
そして2009年に人生の転機が訪れます。
数々の新人賞を総なめにした主演映画「愛のむきだし」と出会います。
そこからは一気に国民的女優の地位を確立することになりました。
辛いことを家族に共有しないのも「彼女なりの愛情表現」
彼女の優しさが伺えるのは辛かったということを家族に相談しなかったことですよね。
自分が辛いといえば、家族をもっと不安にさせたり、心配をかけることになる。
もちろん、別のやり方もあったとは思いますが、彼女なりの家族に対する愛情表現だったのではないかと思います。
そして、それを支える誰かがいたからそういう行動が取れたのだとも思います。
苦悩や挫折があったから、支えてくれる誰かがいたから今の彼女の演技力があったのでしょう。
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